スポーツ紹介

「恥ずかしいから運動したくない」という障害者の本音から考える、おすすめの障害者スポーツ

佐々木一成
2018.02.05

運動会のかけっこ。両足が不自由な僕は、毎回ハンデをもらっていました。100m走なら、みんなより20mくらい短い距離を走る。スタートの合図が鳴ると、そこから5秒くらいは先頭なのだけれど、ゴールが近づくにつれて、全員から抜かれる。惜しかったね、頑張ったねという声は、僕にとってはただの屈辱でした。

もう少しハンデをもらえばいいじゃん。周りはそう言いました。でも、僕にもプライドはある。絶対に勝てるハンデをもらって勝っても嬉しくはない。むしろ、それでも負けたら、自分の不自由な足を呪ってしまいそうな気がする。そんなに気にすることかな?という言葉に「五月蝿い!」と怒鳴り散らしたことを覚えています。

 

 

足が不自由だから、歩くことに困る、走ることに困る。その事実は間違いありませんが、その事実に付随する感情に、こちら側は囚われてしまうのです。小さい頃なんて、足が速いほうがモテるに決まっている。ちょっと気になっている女の子の前で、圧倒的最下位を示すことになる運動会のかけっこ。僕は走ることに困っているのではなく、恥ずかしい思いをすることに困っていました。

障害者があまり運動やスポーツに取り組まない理由のひとつには「恥をかきたくない」という感情があります。

人間、最初は無邪気なもので、障害があろうとなかろうと、面白そうなことにはチャレンジします。ただ、そこに障害があると、どんどんと上達していく周囲を尻目に、ポツンと置いていかれる自分がいます。障害が原因で◯◯ができない、だから下手なままである。この状態を恥ずかしいと感じたときから、チャレンジしづらい自分が生み出されてしまいます。

 

 

この例は先天性、生まれつき障害を抱えている方に多いですが、後天性、事故や病気によって障害を負った方の場合で言えば、健常者だった頃の自分にできていたことができなくなったことが受け入れられるかどうか、障害者になったという事実に対する周囲からの見られ方に過剰に反応してしまうといったことがあります。ここにも悔しさや苦しさだけでなく、恥ずかしさという感情が見え隠れしています。

そんな背景から、障害者がスポーツをする場合は、走る、泳ぐといった健常者と同じステージに立つと、その差が明確に現れるスポーツよりも、障害者にとっても健常者にとってもそれぞれに難しさやメリットがあるスポーツを薦めます。

 

 

ブラインドサッカーのように視界が遮断された状態で行うサッカーは、ご存知の通り視覚障害者のスポーツではありますが、その世界に慣れた視覚障害者に優位な点もあれば、足先でボールの感覚を養っているサッカー経験者にも一日の長があります。

 

 

シッティングバレーのようにコートの上に座って行うバレーボールは、足を切断した義足ユーザーなどが多く楽しむスポーツですが、座ったまま移動するため足が邪魔になることがあります。足がないため動きやすいが、踏ん張りが利かずにプレイの威力が劣る障害者とその真逆の健常者。これも一長一短です。

障害者が運動やスポーツに取り組まない理由を「恥ずかしさ」という観点から考えてみましたが、その背景にあるものは「障害がないほうがそもそも有利という状況」への抵抗感です。

障害の有無や程度によって競技の難しさやメリットがそれぞれ存在し、上達のスピードに障害が関係ない。そんなスポーツを見つけること、取り組むことが障害者にとって親しみやすいスポーツライフに近づけるのではないでしょうか。また、すでに存在しているスポーツにルールを加えてみるという創意工夫も大事かもしれません。

このエントリーをはてなブックマークに追加